

「新潟にゴルフ場を。」
夢に向かって行動を起こした経済人たち。
1957年(昭和32年)、新潟ゴルフ倶楽部は、新潟を代表する経済人、11名の発起人の名前のもと、結実した。
新発田、聖籠、新津、赤塚などゴルフ場の適地を探しまわったが、条件に叶う土地が見つからない。世間のゴルフに対する認識と理解もまだ冷ややかだった。
最終的に用地として取得にこぎ着けた場所が旧巻町の峰岡であった。しかし、問題は山積みである。渋る地主たちとの交渉、墓地や火葬場の移転問題など幾多の困難が待っていた。
それらを一つ一つ解決して、工事に着工したのが1958年(昭和33年)のことである。
発起人たちは新潟県初のゴルフ場の実現に一歩一歩近づいていることを実感していた。